ピアノ・ソナタで浮かび上がるベートーヴェンの生涯

 2027年に没後200年となるベートーヴェン。“難聴”という音楽家として致命的な苦難を乗り越えて交響曲や協奏曲、ピアノ・ソナタ、室内楽など広い分野にわたり数々の傑作を発表し、近代西洋音楽の発展と音楽家のあり方に大きな影響を及ぼした偉大な音楽家です。
 ベートーヴェンの音楽活動は、一般的に前期(初期)・中期・後期の3期に分けられています。

古典派の形式を受け継ぎつつ 独自の試みも

 〔前期〕は少年期から1800年頃までです。この間にベートーヴェンは、ハイドンに師事するため生地のドイツ・ボンからオーストリアのウィーンに移り住み(1792~)ます。そして当地でピアニストとして活躍、評判を高めました。併せて作曲活動にも本格的に取り組み、ピアノ曲、ヴァイオリン曲、チェロ曲、弦楽四重奏曲、交響曲も第1番・第2番…と、多くの曲を作っています。代表的作品として交響曲第1番(1800)・第2番(1802)、弦楽四重奏曲第1番から第6番(1799~1800)、七重奏曲(1800) 、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(1799)・第14番「月光」(1801)、ヴァイオリン・ソナタ第5番「スプリング」(1801)などがあります。
 この時期の作品は、ハイドンやモーツァルト作品から学んだウィ-ン古典派の形式を忠実に受け継ぐ一方、独自の革新的な試みも随所で行っているのが特徴です。

耳疾の危機を乗り越え、傑作量産

 〔中期〕は1802年から1814年頃とされています。以後、没するまでが“後期”です。
 〔前期〕と〔中期〕の区切りには、きわめて重大な“事件”が関わっています。1797年頃=27歳頃=から耳鳴りや高音が聞こえにくくなり、しだいに聴力が衰えていったことです。音楽家として致命的な耳疾に将来を悲観、絶望して自死すら考えました。しかしベートーヴェンは、苦悩の末、作曲家として人生を再構築し、芸術に身を捧げることを決意。危機を克服します。その経緯を2人の弟に宛てて書いた手紙が 「ハイリゲンシュタットの遺書」 ─実際の内容は遺書ではなく“決意書”─です。
  先に挙げたピアノ・ソナタの「悲愴」や「月光」は、ベートーヴェンの苦悩の深さと克服に向かう穏やかな心情を表しているように思われます。
 〔中期〕の作風は英雄的・劇的となり、曲の構成や長さも拡大していきます。創作意欲をほとばしらせ、ダイナミックで緊張感のある作品を次々と産みだしました。そのほとんどが傑作と讃えられています。創作活動が最も充実していたこの時期を、文豪ロマン・ロランは“傑作の森”と名付け、賞賛しています。
 傑作中の傑作として、交響曲では第3番から第8番まで ─とくに第3番「英雄」(1804)と第5番「運命」(1808)─、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(1809)、ヴァイオリン協奏曲(1806)、弦楽四重奏曲第7番から第9番の3つの「ラズモフスキー」(1806)、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」(1804)・第23番「熱情」(1806)・第26番「告別」(1810)、ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(1803)、チェロ・ソナタ第3番(1808) などの作品が挙げられます。唯一のオペラ作品、「フィデリオ」もこの時期に完成されました(1814)。
 これらを通てベートーヴェンは、古典派からロマン派へと音楽を塗り替えていきました。

苦悩の先にある救いとは何か問う

 〔後期〕は1815年頃以降です。実は〔後期〕のはじめの数年間、ベートーヴェンはスランプに陥り、作曲がほとんど進みませんでした。家族問題・健康状態の悪化・家計行き詰まりが原因で、心労によって聴覚はほとんど失われ、周囲とのコミュニケーションも筆談に頼るようになりました。ナポレオン政権崩壊後の急激な保守反動化(自由主義への弾圧)、および社会への幻滅もあって、演奏会からも遠ざかってしまいました。
 しかし、自らの音楽的使命を自覚してここまで突き進んできたベートーヴェンは、驚くべき精神力をもってこれを脱し、決起します。そして、結果として“最後”となった、大創作活動に集中します。
 〔後期〕の主要作品は交響曲第9番(1824)、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ、1823)、弦楽四重奏曲第12番から16番まで(1825~26)、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィア」 から32番(1819年~22年) まで、などです。
 〔前期〕〔中期〕の形式性や劇性を抜けだし、独創的かつ深い精神性を湛えているのが特徴です。それら作品には、音楽的な技巧を超えて、「人間とは何か」「人間の苦悩、その先にある救いとは何か」という普遍的な問いが込められています。

ピアノ・ソナタに映された“生きざま”

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ曲は、青年期の20歳代半ばから最晩年の50歳代まで、人生に沿うかたちで作曲が続けられました。それゆえピアノ・ソナタ作品には、作曲者の生きざまが反映されています。ここに、今回の長富彩さんのリサイタルシリーズをお聴きいただく意義があります。
 さて、〔前期〕のピアノ・ソナタは第1番から第14番とされています。それまでの伝統的な3楽章形式にこだわることなく、交響曲のような4楽章のソナタ構成を大胆に取り入れ、ピアノの表現の限界を広げました。
 しかしこの頃、耳疾が自覚されるようになり、第8番「悲愴」には先行き(難聴)への恐怖が感じられます。第14番「月光」は〔中期〕に進むさきがけとも位置づけられています。
 〔中期〕のピアノ・ソナタ作品は第15番から第27番までとされています。前記のとおり自死を思いとどまり、「過酷な運命に立ち向かう英雄」のような力強い独自の芸術スタイルを確立します。これが、ピアノ・ソナタにおいて、オーケストラを思わせる重厚な響きとして反映されます。代表曲が第23番「熱情」です。
 〔後期〕は第27番以降です。ほぼ失聴状態となり、精神世界で自らの作曲意図を深めていきます。そして伝統的なソナタ形式に縛られず、自由で、即興風ながら極めて緻密に構築された奇跡の第28番〜第32番を遺しました。
 これらを、長富彩さんの演奏でぜひご体感ください 。

(マ)

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この響きは 神戸・元町に行かなければ聴けない

長富彩【神戸朝日ホールのピアノ、奏者は長富彩さん=2025年7月】
 神戸朝日ホールのピアノはかつて、姉妹ホールである大阪のフェスティバルホールにおいて、世界の名だたるピアニストから、その きらめく音色と豊かで深い響きが絶賛されたスタインウェイD-274(No.52665)です。2023年、神戸朝日のリニューアル再オープンを祝し元町にやってきました。
 このピアノは1992年、スタインウェイ・ハンブルク(ドイツ)からフェスティバルホールに納入されました。以来、日を追って国内外の著名演奏家からの指名が増え、同ホールが所有するピアノ群の中でも屈指の存在となりました。ハンブルク製スタインウェイ特有の、クリアで繊細かつ洗練されたクラシカルな響きが、ホールと調和し、一段と豊かさを増したといわれています。
 フェスティバルホール専属調律師のOさんは、「ピアノは、響板などいくつかの重要なパーツをホールの特性に合わせて養生し、また、弾き手のさまざまな要求を反映させることで、どんどん研かれていく。このD-274(No.52665)は、本当にすばらしい成長を遂げた」と話します。その結果、クラシック演奏者だけでなく、ポップス系のピアニストにも気に入られ、有名アーティスト・人気グループの公演でも大活躍しました。
 神戸・元町に居を移して3年のスタインウェイD-274(No.52665)。神戸朝日ホールでも、このピアノの管理・調律を担当するOさんは、「神戸のホールにすっかりなじみ、共鳴し合っている。これからさらに進化するだろう」 と期待しています。この素晴らしいピアノの響きを、神戸・元町で、ぜひご堪能ください。

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